宮本輝「螢川・泥の河」を読む

「優駿」を読んだで宮本輝氏の作品に初めて出会って、いやー良い作家だと思って次に手に取ったのが「蛍川・泥の河」だった。

泥の河と言えば、その昔若い頃の加賀まりこが出ていた映画の印象が結構強くって、それを想い出すと近頃の言いたいことを好き放題言ってる加賀まりこにも、こんな時代があったんだなーとちょっとほほえましくなるんですが、原作小説は何故か読もうと思わなかった。

まあ基本的に原作は先に読む方が良いような気もする、映像を見てしまったら人物とかその俳優での姿を想い出してしまうので、ちょっと想像力をそがれてしまうのが辛い。
ただしこの「泥の河」はずーっと昔の映画で、すでに映像的記憶が薄れ掛かってるので無問題でした。

表題は「螢川」が先に来ていますが、実際の内容は泥の河が先ですし発表された順番的にも泥の河が先なので、なんで「螢川・泥の河」と題したのかよく分からない。

そんなくだらないことは置いといて、「泥の河」は大阪が舞台で、大阪に住んでる人ならその地名を聞けば行かなくても、何となく雰囲気が想像できるので話に浸る準備が楽だ。
されど大阪以外の人でも、以前に阪神タイガースが優勝して道頓堀にダイブした後で上がってきた人の姿を思い出せば、あんな感じの泥の河をもっと広くしたようなのが小説の舞台であると分かるでしょう。

主人公は少年で、遊ぶのが仕事のような時期にある子供が、大人の世界とは別次元で生きている視点で書かれている。
もっと大きくなれば世間のしがらみなぞという言葉にぶち当たるんだろうが、そんなこと解りもしなけりゃ知りたくもない年頃なので、すっごく純粋に物事を見つめている、あーこういう時代があったな~とひととき懐かしく思う次第です。
ストーリーは一言で言えば「出会いと別れ」を子供目線で淡々と綴っている(それだけかいっ!)ような感じ?ですね。


さて次に「螢川」はもう少し大きくなった少年の、甘酸っぱい思い出のような夢の世界の記憶のような、なにか儚い綿菓子の食感のような捕まえ所のない感情を、言葉によって紡ぎ出して目の前に出現させたという点が素晴らしいテクニックと言いたいです。
まあ私ごとき文才のない人間が言語を労しても、空飛ぶ鳥を物干し竿で追いかけてるようなものですから、読んで貰うしかないですね。(笑)
されど、私なんかはまだ子供時分に蛍の群れは見たことがあるけれど、都会の人や今時の子供は蛍の実物を見たことすら無いのじゃないかと危惧する次第です。
そういう人達があの蛍を見に行くときのワクワク感とか、実際に大群に出くわした時の気持ちを想像することすら出来なければ、残念ながらこの小説の感動は得られないと思いますよ、ちょっと可哀相になりますね。

だから読み終わった後、現実に戻ってなんだか便利になって行く世の中だけど、気がついたら足下がスカスカのコンクリートで何時か奈落の底に落ちていきそうな、そんな不気味な未来が待っているような気がします。

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