さはさりとて・さりながら

アクセスカウンタ

zoom RSS 三島由紀夫「奔馬」に続き「暁の寺」を読む。

<<   作成日時 : 2005/12/19 21:01   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

先日の三島由紀夫「奔馬」に続き、『豊饒の海』の第3部「暁の寺」を読み終わりました。
なんだか、1部2部に比べて別の書き手のような、内容的にもちょっと跳んでる感じ。
いや飛んでるというか、間に何か時間があいて書き手の人格が変わったような、ちょっと不思議感が現れてます。
1・2では脇役で狂言回し的立場だった本多が、イキナリ主役になって立ち回り始めたと言う所ですかね。前回までで輪廻転生をテーマにする様に組み立てられていたのが、急にもっと重大なテーマが現れて、そんな小さな事はどうでも良くなってしまったみたいに突っ走ってます。
まあ、全部読んでみれば分かるのかも知れませんが、起承転結の「転」に当たるので、これぐらいの変化はしかるべきなのかも知れないが、清顕も勲もほとんど面影ですら絡んでこないし、飯沼もちょっと顔見せで出てくるぐらいで、何もしていないというか意味のある登場ではないです。
そんな中、本多が戦後の空襲の後の松枝家の跡地で出会った蓼科は、非常に存在感のある出現で思わず声を出して笑ってしまいました。

「暁の寺」のあるタイ(バンコク)には十数年前に一度行ったけれどかなり前だし、確かに寺が多くて「暁の寺」がどんな所だったか、かなり思い出すのに苦労します。(たしかあの高い所まで急な階段のあるヤツだと思うんですが) ともかく、行ったことがあるというだけなんだけれども、そこが舞台になっているのはちょっと嬉しいです。

第3部では、清顕の生まれ変わりとなるというか、自分から生まれ変わりだと言い出すのですが、ジン・ジャンという少女(月光姫)が主役の立場を本多に奪われた形で登場します。
しかるに勲のように明確に清顕との関連が有る訳ではなく、ちょっと曖昧な感じです。(はっきり言ってこじつけ気味に近い)
そんな登場なので、退場もあっけないというかさりげないというか、ひっそりこっそり消えて行きます。

ともかくも、メインテーマが「阿頼耶識」という非常に形而上的概念ですので、理解するのに苦労するというレベルを遙かに超え、ちんぷんかんぷんと言って良いくらい取っつきにくいです。もし理解できたとしてもとても他人には説明できない感じ、つまり三島由紀夫が自分で理解していたとしても、読者には伝えられないと思いながら書いたんじゃないかと想像します。
内容的には、人間の本質はエッチなんだと要約できそうです。(意味不明)
暁の寺―豊饒の海・第三巻 (新潮文庫)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
三島由紀夫『豊饒の海』完結「天人五衰」を読む。
「三島由紀夫「暁の寺」を読む。」の続きで、第4部「天人五衰」ですが、少し息切れしたのかな?と思いたくなる、ちょっと短いし。 ...続きを見る
さはさりとて・さりながら
2005/12/25 21:33

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
三島由紀夫「奔馬」に続き「暁の寺」を読む。 さはさりとて・さりながら/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる